120万の指輪を正直に届けてくれた従業員にお礼した話

どうもクロロです。

先日、新幹線で120万の指輪を失くして、それが5日後に見つかったという記事を書きましたが、拾ってくれた人にお礼することにしました。

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120万の指輪を失くしました

「落とし物のお礼は1割のお返しをする」というイメージがあったので、今回の場合は12万をお渡しさせていただこうと思ったのですが、彼女から流石にそれはやめとけってことで、商品券3万円くらいにしようかと思っていました。

拾ってくれた人は「新幹線メンテナンス東海株式会社 三島事業所」の従業員の方だったので、事業所の人と話をしたところ「大変ありがたいのですが、金券を受け取ることができないルールになっている」とのこと。

更には「個人に対するお礼もいただけない」みたいなことを話していました。

仕方がないので、事業所長の名前を聞いて、所長さんと拾った従業員さんの二人の名前宛に「食べ物」を送ることにしました。

「徳島四季乃菓子あわや」のお菓子の詰め合わせを6個買いましたw

従業員は全部で100人と聞いていたので、一箱に18個くらい入っているお菓子であれば6箱買えば十分でしょう。

メッセージカードでは「指輪を拾ってくれたこと」と「普段の清掃業務」に関してのお礼を書きました。

本人が喜ぶのを想像するのは悪いことなのか?

電話で「金券や個人への贈り物がダメなのであれば、従業員さん全員で食べられるお菓子を送らせていただきますね」と伝えたところ、事業所で電話対応した方は「ありがとうございます。大変励みになります」と言っていました。

指輪を拾って正直に届けてくれた方は、60過ぎの男性従業員らしいのですが、清掃という地道な作業を真面目にこなしている中での、こういった出来事って凄く嬉しいことだと思うんですよね。

てな感じのことを彼女に話したら「そういった期待するのはよくない」「人の感じ方はそれぞれ違うから、いい風に考えない方がいい」みたいなことを言われました。

自分は「えっ!?」となってしまって、人に何かを感謝した時にその人が喜んでいるところを想像することはいけないことなのか?
と疑問に思いました。

もちろん、100%喜ぶとは限りません。
間違いなく社内で褒められたりするだろうから、目立つのが嫌いな人であれば嫌がる可能性もゼロではないでしょう。

ただ、普通に考えたら99.5%で喜ぶと考えたほうが妥当でしょう。
その人もその人なりにプライドをもって仕事をしてるんでしょうから、そういった形で評価されることは仕事をする上でのこの上ない喜びとなります。

自分も現場で働いていた経験が長くあり、そのように人から感謝されることはありませんでしたが、自分の行いが良かった為に従業員全員にお礼のお菓子が届いたら、鼻が高いだろうし自分が認めらた気がして嬉しいです。

そう、会社員というものは『自分が認めれること以上の喜びはない』と言っても過言ではありません。

上司から認められる。
部下から認められる。
取引先から認められる。
お客様から認められる。

自分がサラリーマン生活を20年間やってきて、認めれたことってあまり記憶にないですが、まあそういうわけですので「喜んでくれるだろうなあ」と頭の中で想像して嬉しそうに話をしたら、彼女から「人の感じ方はそれぞれ違うから、いい風に考えない方がいい」という返答をもらったわけです。

いや、悪い風に考えるのであれば、そもそもお礼を渡さないってw

まあ、彼女はこの上なく何でも悪い方に考える後ろ向きな人間なので、会話をしていると喜びに水を差されるケースが多いです。

こちらが何か嬉しいことがあった時に、そのことについて喜びながら話をしたとしても「騙されるから真に受けない方がいい」とか「足元をすくわれるから浮かれない方がいい」といったように他人の気持ちに水を差すことばかりを言ってきます。

もちろん『勝って兜の緒を締めよ』という言葉があるように、そういった考え方も大切なんですが、その物事での因果関係を総合的に判断して喜ぶべきか悲観すべきかを考えるべきなんですが、彼女の場合はすべてのことにおいて無条件に悪い方にばかりに想像するのが問題なんですよね。
(たぶん、他人に警告することによって自分が優越感に浸りたいという面もあると思います)

その性格は自分ではチャレンジ(行動)せずに、他人のチャレンジの失敗を見て「ほら見ろ」という優越感に浸る性格がにじみ出ているといえます。

もちろん、物事をどう考えるのかは人それぞれ自由なんですが、自分はその性格とは真逆にチャレンジしてきた人間であるからこそ、彼女は金銭的に恵まれた生活をしているわけですので、その辺を考えると納得できない気持ちになりますね。

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